抄録:クレームが進歩性を有しているか否かを判断するには、クレームに記載の発明の全体を把握した上で判断すべきであり、発明の技術的特徴のそれぞれについて個別的に進歩性の有無を判断してはいけない。全体的な角度からクレームに記載の発明について進歩性の有無を判断する方法は、発明の技術案だけではなく、発明の属する技術分野、解決しようとする技術的課題及びそれにより得られる技術的効果等を考慮すべきであり、明細書に記載の技術案を全体的に把握すべきである。
発明に対する進歩性の判断は、登録過程及び無効審判過程において特許の生死に関わる重要な要素であると思われる。実際には、進歩性に対する判断は主観的な色彩を持っており、両方当事者の各自の利益が関わり且つそれぞれ違う立場を主張するため、進歩性に対する判断は完全に違った結果になってしまう場合がある。このように、進歩性に対する判断の客観性や公正さを確保するには、上述の「全体的原則」が極めて重要となり、実務において最も難しい課題の一つであり、場合によってはまったく意識されないことも少なくない。
本稿は、ひとつの無効審判事件を通じて、進歩性の判断における全体的原則に関する筆者の考え及び理解を述べたい。
一.関連する法律・規則について
「審査指南(2010)」の第二部分・第四章で進歩性判断に関する一連の原則及び方法が規定されており、「全体的原則」に関連する内容は、主に下記の三箇所に記載されている。
a) 第3.1節に記載の「審査原則」の内容では、以下のものが規定されている。
発明が進歩性を有するか否かを判断する際に、発明の技術案そのものに限らず、発明が所属する技術分野、解決しようとする課題及び技術的効果を考慮すべきであり、発明に対する全体的な把握が必要である。
b) 第3.2.1.1節に記載の「自明」の内容では、以下のものが記載されている。
最も近い従来技術及び発明が解決しようとする課題から出発して、保護を請求する発明が当業者にとって自明であるか否かを判断しなければならない。判断の過程において、従来技術の全体から見て、技術的示唆があるか否かを明確にしなければならない。
c) 第6.4節に記載の「全体的原則」の内容では以下のものが規定されている。
進歩性の判断において、クレームに記載されている技術案の全体に対して判断しなければならず、即ち、技術案全体が進歩性を有するか否かを判断しなければならず、個別の技術的特徴について進歩性を判断してはいけない。
a)及びb)は、主に進歩性の基となる技術的課題を無視してはいけないことを強調し、c)は技術的特徴の間の重要な関連性を無視してはいけないことを強調していると思われる。以下は、具体的な無効審判審決から筆者の観点を述べる。
二.事件の基本情報
無効判決番号: 第34351号
無効審判請求人: 李景松
特許権者: 沖電気工業株式会社
特許番号: ZL201180021569.0
発明の名称: 紙幣出納機
出願日: 2011年10月14日
優先権日: 2010年11月10日
登録公告日: 2014年05月07日
決定: 発明特許権の有効を維持
登録特許のクレーム1:
紙幣入出金機であって、
装置フレーム(5)と、
収納カセット(4)を内蔵する引出し部(6)と、
前記引出し部(6)を装置フレーム(5)から引き出して前記収納カセット(4)を着脱する、2本の段違いのスライドレール(7a、7b)と、を有し
前記収納カセット(4)の着脱を操作する側(B)のスライドレール(7a)を、他方のスライドレール(7b)より低い位置に設置する紙幣入出金機。
無効審判請求の重要な証拠の一つは、韓国特許文献KR10-2007-0028058A(以下は「引用文献1」と称する)である。
引用文献1は自動紙幣機を公開している。その両側は、同じく二つの高さの違うスライドレールが装着されている。
三.争点整理
クレーム1と引用文献1との区別的な技術的特徴:前記収納カセット(4)の着脱を操作する側(B)のスライドレール(7a)を、他方スライドレール(7b)より低い位置に設置する
争点1:クレーム1は全体的にどのような技術案を保護しようとしているのか。上述の区別的な技術特徴は着脱方式を限定しているのか。また引用文献1の技術案と違うのか。
争点2:引用文献1は、上記の技術特徴をもってクレーム1に記載の発明を得る技術的示唆を与えているのか。
対象特許 引用文献1
四.無効審判決定の概要
合議体の判断は下記のとおりである。クレーム1の区別的技術特徴は、前記収納カセット(4)の着脱を操作する側(B)のスライドレール(7a)を、他方スライドレール(7b)より低い位置に設置することである。クレーム1と引用文献1の全体的な方案を比較すれば分かるように、クレーム1によれば引出し部の片側(着脱側)で収納カセットを着脱し、引出し部の装着側の板の高さは、他方の側の板の高さと同じである必要がないため、ユーザーが引き出し部の内部で収納カセットの着脱作業をする際に、手を高く上げて引出し部の真上から下方向へ着脱操作をしなくてもよく、そのプロセスは便利で、体力がかからない。
引用文献1が公開した技術案は、箱式フレーム(600)とメインフレーム(900)の片側の脇板(601、901)の上部に一つのスライドレールが装着され、またメインフレームのもう一つの脇板(902)の上部にローラーベアリング(32)が装着され、もう一つの脇板(602)とカップリングさせる。箱式フレーム(600)の二つの脇板の高さは、上部レールまたはローラーベアリング(32)の高さを超えることが必要であり、ユーザは箱式フレーム(600)の側面から紙幣保管箱(500)の着脱作業を行うことができず、その作業をするには、手を高く上げ、箱式フレーム(600)の開口の真上から下に向いて紙幣収納箱(500)の着脱を行うことが必要となる。
クレーム1は、引出し部の側面から収納カセットの着脱作業を行うことを可能にし、ユーザによる収納カセットの着脱作業が便利で、体力がかからない。引用文献1が解決しようとする課題は、箱式フレームの装着状態の改善とコストの削減であり、その目的としての技術的効果は、箱式フレーム(600)の装着作業と取り外し作業を行う際に、メインフレーム(900)の大きな振動を引き起こすことを防止することである。また、一つのレールの代わりに、低価格のローラーベアリング(32)を使用したため、コスト削減の効果も得られる。上記の内容から分かるように、本特許のクレーム1は、引用文献1に比べて、区別的な特徴を有している。その上に、クレーム1に記載の技術案は引用文献1に比べて、その解決しようとする技術的課題も異なり、達している技術的効果も異なる。
前述のように、引用文献1に記載のスライドレールは、両側で高さがそれぞれ違うものの、低いレール側に収納カセットの着脱作業を行うことがないため、上述の区別的な技術的特徴に関して技術的示唆がない。したがって、当業者は、引用文献1に記載のスライドレールとローラーベアリングの数量、位置や紙幣保管箱(500)の装着手段を変えることによりクレーム1の技術案を獲得する動機付けが低い。
上記の原因により、合議体は最終的にクレーム1が進歩性を有すると判断し、その発明特許が有効であると判断した。
五.事例評価
この事件の無効審判の決定から分かるように、合議体は進歩性判断活動の全過程において、「全体的原則」を貫いた。その判断に当たり、発明が解決しようとする技術的課題を踏まえ、クレームの技術案に対して全体的な判断を行い、技術案の局部に目をとらわれず、技術的課題を考慮しながら引用文献から技術的示唆が与えられているかどうかを全体的に判断した。
焦点1については、合議体の分析からわかるように、クレーム1で保護を求める技術案は、側面における着脱作業方式を前提とした、高いスライドレールと低いレールの具体的な設置方式と思われる。全体的な判断を行う際に、「着脱側」とスライドレールを分離させて両スライドレールの設置高さの違いを孤立的に見ることができない。「着脱側」という言葉は、評価対象としての特許にとって、技術的問題と密接な関係を持っている重要な特徴といえる。
対象特許技術の背景技術に関する記載では、従来技術の問題について下記の通りに指摘されている。操作者は、紙幣収納箱(4)に対し、B方向で着脱作業を行う際、紙幣収納箱は隣のスライドレール(7)とぶつかり、着脱作業が行いにくいとの問題が存在する。区別的な技術的特徴に反映された技術案は、技術的課題に着目して、達しようとしている技術的効果は以下のものであると思われる。ユーザは、着脱側で引き出し部の内部において収納カセットの着脱作業を行う際に、手を高く上げて引出し部の真上から下に向いて作業する必要がなく、紙幣収納箱(4)も隣のスライドレール(7)とぶつかることがなく、その過程は便利で、体力がかからない。
技術的課題と技術的効果に対して分析を行ってはじめてすべてが明らかになり、クレーム1の技術案は引出し部の片側(即ち着脱側)で収納カセットの着脱作業を行い、そのために着脱側のスライドレールが他方の側のレールより低く設置するということが分かる。そうでなければ、クレーム1に対する理解は、スライドレールの高さは二つで且つ異なるという認識にとどまり、技術的課題と密接な関係をもち、着脱方式の特徴を反映している「着脱側」という点に対する認識が足りない、或いはまったく認識されない可能性が高い。
焦点2に関して、合議体が技術的示唆があるかどうかを判断した際に、スライドレールのどちらが高いとの問題にとどまらず、対象特許と引用文献の技術案を全体的に考慮することにより、引用文献1と対象特許の着脱方式がまったく違うという結論になった。その見方では、二者が解決しようとする課題は、違う着脱方式を前提とした技術的課題であり、引用文献1の局部的な特徴として高さの違う二つのスライドレールがあるが、その技術的効果はまったく違う。したがって、合議体は引用文献1が技術的示唆を何ら出していないとの結論を下している。
要するに、クレームの技術案が進歩性を有しているかを判断するに当り、クレームの技術案の全体に対し評価を行うべきである。全体的原則を無視すれば、進歩性に対する判断の間違いをきたす。技術特徴や技術案を孤立的に捉えるのをさけるために、技術特徴そのものや、それが所属する技術案の局部に目をとらわれてはいけない。それと同時に、進歩性における自明判断も、技術手段、解決しようとする技術的課題、及び技術手段がもたらす技術的効果の三者を総合的に分析することが必要であり、そうしてはじめて客観的な結果が得られると考えられる。